こんばんは、asakunoです。
秦郁彦先生、大学で日本近代史を学ぶ学生ならば、各種事典で日々お世話になる軍事史の大家ですね。
私も、軍事史を研究していたわけではありませんが、官僚制や内閣人事を調べるのに頻繁に先生が編集した事典を活用しておりました。
さて本書、
・読売新聞の連載企画「時代の証言者」シリーズ(2017.3.14〜4.26 全31回)の加筆
・旧陸海軍指導者たちの証言(1953(昭和28)年に著者が巣鴨プリズンにおいて行ったヒアリングの速記ノート
この2点がメインとなっているような気がします。
分量的には、ヒアリングノートがほぼ半分を占めています。
前半部分は、著者がどのようなスタンスで歴史研究を行ってきたかの回顧になります。
時代状況は現代と全く異なるとはいえ、研究者がどのような動機で歴史研究を志向していったのか、そしてどのような社会的地位や資金源を得て研究を続けていったのか知ることが出来ます。
(圧倒的な東京大学の強さを思い知らされる感じもあります。。。)
後半部分は、陸海軍指導者の証言になります。
軍事史には全く明るくないのですが、とても面白く読めました。
この部分を読むだけでも、例えば、
Aの証言「Bは●●した」
Bの証言「Aは私が●●したと言ってるがそれは誤りである」
といったような箇所を発見することができます。
史料を批判的に読む意味、一つの事象について、複数の人物が残した史料や新聞雑誌記事等をくまなく探して、客観的事実を拾っていく地道な作業の重要性を、本の中だけすら見つけることができます。
こういう箇所をきっかけに、調べることの面白さや、史料批判の重要性に気づく人が一人でも増えて欲しいですね。
春から入学する大学生にぜひ進めたいですね。
まぁ知り合う目処はないんですが(笑)
著書のレビューなんて恐れ多くて出来ませんので、
備忘録的に、ブログに残しておきたい部分を紹介しますね。
●歴史家の道へ踏み出した動機(pp,13)
東京裁判で隠し通された部分を解明することで、
昭和初年の歴史におよその筋道をつけたい
●1951年に東京大学に入学、丸山真男から一対一の個人教育を受ける(pp.35)
日本政治外交史の岡義武ゼミに所属(緒方貞子も同ゼミ生)
●家永三郎との論争(pp.112〜)
日本の進歩的文化人(著者の整理)
①戦争中、自由主義者として沈黙を強いられ大学を追放、戦後、大学に復帰
→ 矢内原忠雄、大内兵衛
②戦時中は時流に迎合、戦後、米国民主主義の礼賛者や平和主義者に変節
→ 清水幾太郎、家永三郎
●歴史の実利的効用(pp.170〜)
①教訓の摂取
②説得の技法
③エンターテイメント
”職業的詐話師”がガセネタを雑誌社に持ち込む実態を懸念。
→著者略歴、参考文献、脚注の内容に留意すること
※脚注(p.174)
同分野の先行研究は消化しており、
そのうえで自信と責任を持って論争に応じる姿勢を示すもの
●歴史の観察と解釈について(p.178)
①一般理論は存在せず、部分理論しかない
②真理は中間にあり
E.Hカー「ユートピアニズム対レアニズムの螺旋的発展」
③職人意識を忘れない
”神は細部に宿たまう”
→歴史家の本分は、マクロの観察よりもミクロの実証作業
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以下asakunoのちょっと横道にそれた感想です。
歴史研究には、プロの研究者と、アマの「歴史家」がいます。
史学を専攻しない限り、この両者を厳密に分けて著作を分類することは、なかなか難しいのではないかと思います。
歴史小説を「歴史」として読んでしまう人も少なからずいると思います。
また、巷の本屋や図書館に溢れている”歴史本”は、ほとんどがアマの歴史家によるものです。
研究者の著作は、一般向けに書かれた本(新書や『大系 日本の歴史』などのシリーズ物など)をのぞいて、大型書店に行かないと手に入らないですし、流通量も少なく値段もはります。(いわゆる研究書ですね。)
私は研究者を諦めてから10年ほど経ちますが、いまだにアマの歴史家の書いた著作に手を出せません。
間口を広くとって、いろんな人に歴史の面白さを伝える、という意味においては、圧倒的にアマの歴史家の著作が優れていることと思います。
ですが、研究者が人生をかけて残した”研究書”の真髄に触れてしまうと、その魅力に圧倒されてしまうものです。
最初のハードルは高いですが、本当はもっと研究書をいろんな人に読んでもらいたいですね。
そんな思いが強くなる一冊でした。
まとまりなくてすみません。
今回はこのあたりで終わりにします。