東浩紀『ゲンロン戦記』(2020年、中公新書ラクレ709)

あけましておめでとうございます。
2021年もどうぞよろしくお願いいたします。
今年は2020年よりも更新をがんばっていけたらと思います。

さて、2021年の一発目が、、、コレになってしまいました。
(読み終わったのが2020年最後の本で、レビューが年内に間に合わなかった)

Twitterなどで少し話題になっていたので、読んでみました。
2020年12月10日初版ですので、店頭にはもう少し並んでいた??
私が購入したのは12月15日の再版です。(・・・売れたのかしら??)
読む動機は、はっきりあったわけではなく、なんとなくですね。

東浩紀については、学生時代に『動物化するポストモダン』を読んだり、最近でも『弱いつながり』を読んだくらいで、そもそもあまり著者に詳しくなくて、
また「ゲンロン」についても「なんか聞いたことあるなぁ」程度で、
オンラインサロンなどのネットワークビジネスとの違いもよくわかっていませんでした。

本書カバー折り返しにある著者略歴によりますと、

1971年東京生、批評家・作家。
東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了(学術博士)、
「専門は哲学」ともあり、本書のなかでもご自身の「哲学」(思想?)について、
それなりの紙幅を割かれている印象があります。

語り下ろし、ということで、東浩紀が自身の10年を回顧しながら語ったものを、加筆修正してまとめて本書が出来上がったようです。

あとがきで、収録後に「残念な事件が起きた」とありますが、前述したように私は著者に対してほとんど関心を持っていない人間だったので、当時の影響等については想像も及びませんが、ゲンロンの有料会員(?)の方にとっては、衝撃的で、より感情を揺さぶられながら追体験する感覚で本書は読めるのかもしれませんね。

ざっくりですが、私が抱いた感想を備忘メモとして。

●アカデミズムの世界の人が、起業して奔走した10年の記録

 営業しかやったことのない人間が勢いベンチャー起業したら、
 いかにも発生しそうな管理にまつわるドタバタがたくさん語られています。
 かなり赤裸々に書かれているので、ありそうでなかった起業奮闘記かもしれません。

 また、アカデミズムや論壇の世界にいた人が、
 実業世界をどのように見ているのか、についても垣間見ることができます。

 私は企業の間接部門での就労経験が長いので、
 「あぁ、そういう人多いよね」という複雑な心境で当該部分を味わいました。
 とはいえ、あくまでも少人数の企業体での話なので、
 大企業の間接部門にしかいたことのない人にとっては別の意味で新鮮かも。

 あとは、人間の実年齢と中身って比例しないんだなぁっていう純粋な感想もありますね。これは悪い意味ではなくて、自分のなかの幼さの克服は40代になってもできるんだなぁと。

 私も、人生が中盤から後半に向かいつつあるなかで、
 自分自身の凝り固まった思考の癖や、克服できないと思い込んでいた自分の嫌いな部分がありますが、これから変わることも可能なのかもしれない、
何事も「遅い」ってことはないのかもしれないなと、ちょっと励まされました。

●ゲンロンを通して実践している(してきた)著者の思想が面白い

 雑誌の刊行、ゲンロンカフェ、旅行企画、スクールなど、
 多角的に事業を展開されていて、(それを「誤配」の産物と呼ばれていますが)
 そういった一つ一つの成功・失敗談も面白いんですが、
 事業に奔走する中で著者が新たな気づきを得ていく描写を私は面白く感じました。

一部引用しますね。

「ぼくみたいじゃないやつ」とやっていく意味

(前略)

 言い換えれば、僕は自分の関心が自分だけのものであること、自分が孤独であることを受け入れたわけです。「ぼくみたいなやつ」はどこにもいない。ぼくと同じように、同じ関わりかたでゲンロンをやってくれるひとはいない。けれども、だからこそゲンロンは続けることができる。これからのゲンロンは「ぼくみたいじゃないやつ」が支えていく。ぼくはそのなかでひとりで哲学を続ければいい。ひとりでいい。ひとりだからこそできる。(pp.223)

 

ホモソーシャル性との決別

(前略)

 ホモソーシャルな人間関係が問題視されるのは、要は、自分たちの思考や欲望の等質性に無自覚に依存するあまり、他者を排除してしまうからです。ひらたくいえば、同じような人間ばかり集まっていて気落ち悪いということですが、まさに論壇や批評の世界はそのような批判を浴び続けてきました。

(中略)

 多様性が大切だとひとは簡単にいいます。けれども、その大切さを、自らの人生に引き付けて実感するのはそれほど簡単ではありません。ぼくは2018年にゲンロンと自分がともにコントロール不能になった経験を通して、はじめてその大切さに気づきました。自分のなかには「ぼくみたいなやつ」を集めたいという強いホモソーシャルな欲望が巣くっている。それこそがリスクであり限界なので、意識的に対峙していかないとどうしようもない。

(pp.224-226)

 同質性の高い人間 と寄り集まってコミュニティを形成し、そこを安住安息の地としてしまうのは、アカデミズムの人間に限った話ではありませんよね。

 濃淡の差はあれど、いろんな人に(自身の日常を内省するという意味で)刺さる部分ではないかと思います。

 また、「啓蒙」についての著者の考え方も面白いです。

 今まで著作のなかで述べられてきたような成功失敗を踏まえての、実体験に根ざした「啓蒙」定義だからこそ、実感がこもっていて、また共感させられる印象もありますね。(オンラインサロンなど「信者」を形成するものについては批判的なスタンスをとられているようです。)

  いまの日本に必要なのは啓蒙です。啓蒙は、「ファクトを伝える」こととはまったく異なる作業です。ひとはいくら情報を与えても、見たいものしか見ようとしません。その前提のうえで、彼らの「見たいもの」そのものをどう変えるか。それが啓蒙なのです。それは知識の伝達というよりも欲望の変形です。

 日本の知識人はこの意味での啓蒙を忘れています。啓蒙というのは、ほんとうは観客をつくる作業です。それはおれの趣味じゃないから、と第一印象で弾いていたひとを、こっちの見かたや考え方かたの搦め手で粘り強く引きずり込んでいくような作業です。それは、人々を信者とアンチに分けていてはけっしてできません。

(pp.259)

面白いですね〜

搦め手で粘り強く引きずり込んでいくと、またホモソーシャルなコミュニティができそうな気がしないでもないですが、

結局は何事もバランスの問題なのでしょうかね・・・

ともあれ、面白いおじさんだな〜という印象でした。

(とても雑な感想)

今後の著者がどのように活動を展開していくかも、楽しみですね。

というわけで、書籍の紹介とも感想ともつかない駄文をしたためてしまいましたが、

今回はこの辺で。

年末に少し読書も進みましたので、また近日中に更新したいと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました。

【読書】外山滋比古『乱読のセレンディピティ』(扶桑社文庫)

こんにちはasakunoです。
今回は、外山滋比古『乱読のセレンディピティ』を紹介したいと思います。

乱読のセレンディピティ (扶桑社文庫)

乱読のセレンディピティ (扶桑社文庫)

 

<概要>

”セレンディピティ(serendipity)”とは、
「思わぬものを偶然に発見する能力。幸運を招きよせる力。」
を意味します。(広辞苑)

本書は、講演が元になっているということもあって、
口述筆記のようなライトな書き振りなので、誰でも肩の力を抜いて読める本だと思います。(あとがきには、「大部分は新稿」と記されていますが…)

また、知識第一主義を否定するスタンスで語られますので、
ピエール・バイヤールの著作『読んでいない本について堂々と語る方法』を読んで、共感された方には、うってつけかなと思います。

内容は、タイトルどおり乱読の効能について、著者の経験を元に、エッセイのような語り口で綴られていきます。

どちらかといえば、これから卒業論文を書く学生向きかなとは思いますが、
読書を趣味とするような社会人の方にとっても、今後の読書スタイルの参考に大いになると思います。
(読書家にほど刺さる論点が多いとは思います…)

<読書に対する著者のスタンス>

本を舐めるように読むのではなく、風のように読め、(まえがき)

そして、著者の読書スタンスに大きな影響を与えたであろうエピソードが紹介されています。

文庫本のためのまえがき(pp.1〜)

(前略)大学が卒業論文を書かせていたころ、よく勉強する、まじめな学生が、つまらぬレポートのようなものを書いた。参考にした本を引きうつしにしたようなものもある。それが知的正直にもとるという自覚すらないのだからあわれである。

 それに引きかえ、あまり勉強に熱心でなく好きな本を読んでいる学生が、ときとして、生き生きとした、おもしろいモノを書いた。論文とは言えないにしても、自分の考えたことが出ているのである。少なくとも人の考えを借りて自分のもののように思うといった誤りはおかしていない。やはり、本を読みすぎるのは問題である。そう思って、本の読みすぎを反省したのである。

…まさに私(前者)だなと思って読みました。

「読まなくてはいけない」というプレッシャーに押しつぶされ、また、参考文献を読み漁りすぎた結果、いろんな研究書のつぎはぎのような卒業論文になってしまう・・・
あるあるではないかと思います。

読書一辺倒にならず、自力で考える力を身に着けるためには、どういったスタンスで本と向き合っていったら良いのか、
著者なりの読書論が具体的な経験をもとに語られていきます。

<目次>

1 本はやらない
2 悪書が良書を駆逐する?
3 読書百遍神話
4 読むべし、読まれるべからず ※下段にて一部紹介
5 風のごとく……
6 乱読の意義
7 セレンディピティ
8 『修辞的残像』まで
9 読者の存在
10 エディターシップ
11 母国語発見
12 古典の誕生
13 乱談の活力
14 忘却の美学 ※下段にて一部紹介
15 散歩開眼
16 朝の思想

<一部紹介>

私が読んでいて、個人的に面白いなぁと思ったところを、いくつかご紹介したいと思います。

4 読むべし、読まれるべからず

・知識と思考は相反する関係にある

知識はすべて借りものである。頭のはたらきによる思考は自力による。知識の借金は、返済の必要がないから気が楽であり、自力で稼いだように錯覚することもできる。

 読書家は、知識と思考が相反する関係にあることが気がつくゆとりもなく、多忙である。知識の方が思考より体裁がいいから、もの知りになって、思考を圧倒する。知識をふりまわして知的活動をしているように誤解する。

(中略)

 本を読んでものを知り、賢くなったように見えても、本当の人間力がそなわっていないことが多い。年をとる前に、知的無能になってしまうのは、独創力にかけているためである。知識は、化石みたいなもの。それに対して思考は生きている。(pp.58)

* * *

 知識があると、本来は役に立たないものでありながら、それを借用したくなる。そしてそれを自分の知識だと思っている。(pp.60)

※下線は引用者による 

今までの自分の読書の仕方について、意識しないようにしていたところをストレートに刺してくる感じですよね・・・

14 忘却の美学

・記憶は新陳代謝する

記憶は原形保持を建前とするが、そこから新しいものの生まれる可能性は小さい。忘却が加わって、記憶は止揚されて変形する。ときに消滅するかもしれないが、つよい記憶は忘却をくぐり抜けて再生される。ただもとのままが保持されるのではなく、忘却力による想像的変化をともなう。(pp.197)

ピエール・バイヤールが言うところの、
「遮蔽幕(スクリーン)としての書物」や「幻影としての書物」を想い起こしますね。
両者の読書論の方向性が似ているなと思う根拠でもあります。
(まぁ理解が浅かったり、私の解釈誤りも多分にあるでしょうけれど、
それも私の”内なる書物”として消化されてるので仕方ないですね〜。

こんな感じで気楽に書評(ともいえないただの感想駄文)が書けるのも、
ピエール・バイヤールのおかげです。本当に読んでよかった。
(…他の本の賞賛にもなってますね笑)

 <おわりに>

「本を読んでいない」という「やましさ」を解消することを目的とした、
ピエール・バイヤールの『読んでいない本について堂々と語る方法』と、
外山滋比古の本書を併せて読むだけで、未だに神聖視されている「読書」についての気負いをだいぶ和らげられるのではないかと思います。

もちろん、読書そのものを否定するものではありませんし、
いわゆる基本書というのは抑えておくべきものだと思います。
ただ、その基本書(に限りませんが)の「抑え方」について、
精読しよう、理解しようと気合を入れて立ち向かうのと、
両書の読書論を参考にしながら、”自力で考え”、また”書物の自己投影的性格”を意識して立ち向かうのでは、
同じように通読しても、得られる感想は全然異なるものになるのではないでしょうか。

<参考>『思考の整理学』

ちくま文庫から出ている、『思考の整理学』の方が有名ですね。
大学の書籍部には必ずと言って良いほど平積みされている書籍かと思います。
(私もはるか昔に読んだ記憶はあるんですが、すっかり忘れてしまっているので、
何かのタイミングで読み直したいですね)

思考の整理学 (ちくま文庫)

思考の整理学 (ちくま文庫)

 

フランツ・カフカ『アメリカ』(中井正文訳、角川文庫)

アメリカ (角川文庫)

アメリカ (角川文庫)

 

カフカの『アメリカ』を読了しました。
作品の解説やら感想はとりあえず置いておいて、
とにかく、作品の終わり方がとても良かった。

それが、作者が意図した終わらせ方なのか、
単に未完であったのかは検討の余地があるとは思いますが。
(というかその辺は私が言及するまでもなく、
 分厚いカフカ研究によって詳にされいるのかもしれませんが)

章立てを紹介しておきます。
第1章 火夫
第2章 伯父
第3章 ニューヨーク近在の田舎屋敷
第4章 ラムシーズへの道
第5章 オクシデンタル・ホテル
第6章 ロビンソン事件
第7章 隠れ場所
第8章 オクラホマの野外劇場


主人公カール・ロスマンの作中での遍歴から、
新しい土地でどういう不条理が待ち受けているかは想像に難くない・・・
いや、新しい土地でようやく今までの苦労は報われるのか・・・

想像を大いに膨らませ、期待と不安を抱きつつページをめくると、
突然、物語は終わっているのです。

自分ではどうしようもない、外的要因によって目まぐるしく変転する主人公の境遇、
読み手からすると、
あるときは自分に重ねて共感し、またあるときには傍観者として同情し・・・

激しく感情を揺さぶられるというよりは、
世の中の不条理のなかで抵抗できずに生きて行かざるを得ない人間の、
一人の人間の無力さを、
痛感させられる一冊でした。


国木田独歩「武蔵野」 ー沈められた恋愛の記憶

こんにちは。asakunoです。

今回は、教科書にも必ず載っている、国木田独歩の「武蔵野」を紹介したいと思います。

(ネタバレ?を多く含みますので、まっさらな状態で作品を味わいたい方は、この先は読まないでくださいね。)

 刊行されていて手に入りやすいのはこちら。 (青空文庫にも入っています。)

武蔵野 (新潮文庫)

武蔵野 (新潮文庫)

 

「武蔵野」という作品は、国木田独歩が渋谷村の茅屋に滞在していた1896(明治29)年9月〜1897(明治30)年4月頃の、国木田自身の日記を元に書かれた随筆です。

(フィクションがふくまれるので、小説の要素もありますが…)

「散策」や「落葉林の美」を発見した、等々を指摘されることが多いようですね。

明治30年代の、「武蔵野」の雑木林の繊細な自然描写がとても美しい作品です。

ですが、この作品、ただ「武蔵野」を散策した叙景だけではないのです。

これについては、没後に刊行された国木田の日記『欺かざるの記』と合わせて読むことで、作品の隠された背景を知ることができるようです。

『欺かざるの記』(『国木田独歩全集』7巻、1966年、学習研究社)※抄録が文庫本で刊行されています。『国木田独歩全集』自体が、所蔵図書館が少ないので読むのはなかなか困難そう…

結論から先に言いますと、

この「武蔵野」が書かれる背景として、独歩(当時26歳)の失恋の物語があるのです。

一見、恋愛の要素は全く見受けられない「武蔵野」。

しかし、そもそも独歩が渋谷に一軒家を借りて秋〜翌春まで滞在したのは、失恋の傷を癒す目的もあったのです。

独歩の「武蔵野」の散策は、失恋によって絶望の底にいる自分自身との対話をするための散策でもあったわけですね。

誰しも一度は経験したことのある、失恋。

ふだん目にする光景も、失恋の最中では見えかたは変わってくるものです。

独歩の描いた「武蔵野」が、失恋のショックの中で生み出されたと思うと、少し作品の印象が変わって来ませんか。

もしかすると、失恋の中にあったからこそ発見された「武蔵野」の光景かもしれません。

さて、失恋のお相手は佐々城信子。

信子一家は、北海道の開拓地に住んでいたそうです。独歩は信子との恋愛に後押しされて、北海道で信子とともに生活することを夢想し、実際に北海道へも赴きました。

(その北海道の大自然との対峙も、「武蔵野」の発見にも繋がったようです。余談ですが。)

そして、逗子にて2人で結婚生活をこころみたものの破綻、信子は母のいる北海道に帰っていったそうです。

その5ヶ月後、独歩は渋谷に茅屋を借り、武蔵野散策を始めることになります。

孫引きになっていまいますが、赤坂憲雄『武蔵野をよむ』(岩波新書1740、2018)に引用されている独歩の日記『欺かざるの記』を見てみましょう。

武蔵野の一隅に此の冬を送る。われ此の生活を悲まざる可し。昨年の今月今夜は逗子に彼の女と共に枕にひゞく波音をきゝて限りなき愛の夢に出入せしことあり。今はたゞ独り此の淋しき草堂に此のものさびしき夜を送る。あゝ吾は此の生活を悲まざるべし。

(十一月二十六日)

(赤坂同上、pp.40)

このような、悲哀に満ち満ちた日記が続いているようです。

相当なショックだったことがわかります。去年の同じ日付に何をしていたかまで細かく思い出して日記に書くなんて…その思いの強さに恐怖すら感じます。

しかし、こんな強い感情を内に秘めつつも、「武蔵野」の自然描写には微塵も失恋の影は偲ばせていません。

一方、「武蔵野」の後半には、次のような場面があります。

 今より三年前の夏のことであった。自分はある友と市中の寓居を出でて三崎町の停車場から境まで乗り、そこで下りて北へ真直に四五丁ゆくと桜橋という小さな橋がある、それを渡ると一軒の掛茶屋がある、この茶屋の婆さんが自分に向かって、「今時分、何にしに来ただア」と問うたことがあった。

(中略)

 茶屋を出て、自分らは、そろそろ小金井の堤を、水上のほうへとのぼり初めた。ああその日の散歩がどんなに楽しかったろう。(後略)

ここでは「ある友と」、と独歩は表現していますが、赤坂憲雄は『欺かざるの記』と照らし合わせることで、これが8月の信子との逢瀬との記録であることを立証しています。

そして、こういった「ズラシと隠蔽」の意図を、「郊外の散策の純粋さ」を損なわないためだと推測しています。

このように失恋の記憶は、ときには完全に捨象される一方で、あるときには執念深く形を変えて残されているのです。

文字通り読んでしまえば、秋から冬にかけて「武蔵野」が最も美しく映える季節、瞑想にふけりながら五感で自然を感じる朗らかな散策、友との懐かしい散策の思い出の記憶のように、見えてしまいます。

しかし、独歩の人生を並べて読んでみると、そこには激しい失恋の痛手から立ち直ろうとしつつ、未練をなかなか断ち切れない1人の青年が苦悩する姿も浮かび上がってきます。

独歩はこの失恋の後、約10年後に生涯を閉じることになります。

失恋の影響はわかりませんが、短くも悲劇的な独歩の人生を考えながら、「武蔵野」を味わってみるのも、面白いかもしれませんね。

***

閑話休題。

なんの前置きもなく「武蔵野」を連呼してきましたが、

そもそも、「武蔵野」とはどの地域を指すのでしょうか。

江戸幕府開府までは、中世の古戦場趾以外には名所旧跡もなく、人の住まない荒涼とした野原であった「武蔵野」。

西行や芭蕉にも、萩、ススキ、萱(カヤ)、オミナエシ等とともに詠まれてきました。

独歩は、「武蔵野」の中で、新たに武蔵野の範囲の定義を試みています。

(厳密には、本文中「朋友」の言葉として語らせています。)

東半分は

亀井戸辺より小松川へかけ木下川から堀切を包んで千住近傍へ到って止まる。この範囲は異論があれば取り除いてもよい。

と、断定にためらいがありますが、西半分についてははっきり領域を示しています。

そこで僕は武蔵野はまず雑司谷から起こって線を引いてみると、それから板橋の中仙道の西側を通って川越近傍まで達し、君の一編に示された入間郡を包んで円く甲武線の立川駅に来る。この範囲の間に所沢、田無などいう駅がどんなに趣味が多いか……ことに夏の緑の深いころは。さて立川からは多摩川を限界として上丸辺まで下る。八王子はけっして武蔵野には入れられない。そして丸子から下目黒に返る。この範囲の間に布田、登戸、二子などのどんなに趣味が多いか。以上は西反面。

これを地図にプロットしてみると、↓のようになります。

f:id:asakuno:20190207081125p:plain
「武蔵野」の西半分

西半分だけでも、現在の私たちが抱く「武蔵野」イメージよりもかなり広範囲を想定していることがわかります。

当時は明治30年代。独歩が居を構えた渋谷村(現・渋谷区NHK放送センター近辺)のあたりはまだ “郊外”だったそうです。

この「武蔵野」に含まれるエリアは、当時はまだ都市化の波に完全には飲み込まれていない場所だったということでしょうか。興味深いですね。

なお、本記事を書くにあたり、非常に参考にさせていただいた書籍はこちらです。

武蔵野をよむ (岩波新書)

武蔵野をよむ (岩波新書)

 

当時の自然環境や都市の状況、同時代の作家(田山花袋や柳田国男)の残した記録などから「武蔵野」を丁寧に検証するとともに、先行研究において「江戸の文学的伝統」からの「切断」を指摘していた柄谷行人に批判的な立場を取っています。

そして、近世からの連続性(「歌枕的な伝統」の承継)を立証しています。

秦郁彦『実証史学への道』(2018、中央公論新社)

こんばんは、asakunoです。

 

実証史学への道 - 一歴史家の回想 (単行本)

実証史学への道 – 一歴史家の回想 (単行本)

 

 

秦郁彦先生、大学で日本近代史を学ぶ学生ならば、各種事典で日々お世話になる軍事史の大家ですね。

私も、軍事史を研究していたわけではありませんが、官僚制や内閣人事を調べるのに頻繁に先生が編集した事典を活用しておりました。

 

さて本書、

・読売新聞の連載企画「時代の証言者」シリーズ(2017.3.14〜4.26 全31回)の加筆

・旧陸海軍指導者たちの証言(1953(昭和28)年に著者が巣鴨プリズンにおいて行ったヒアリングの速記ノート

この2点がメインとなっているような気がします。

分量的には、ヒアリングノートがほぼ半分を占めています。

 

前半部分は、著者がどのようなスタンスで歴史研究を行ってきたかの回顧になります。

時代状況は現代と全く異なるとはいえ、研究者がどのような動機で歴史研究を志向していったのか、そしてどのような社会的地位や資金源を得て研究を続けていったのか知ることが出来ます。

(圧倒的な東京大学の強さを思い知らされる感じもあります。。。)

 

後半部分は、陸海軍指導者の証言になります。

軍事史には全く明るくないのですが、とても面白く読めました。

この部分を読むだけでも、例えば、

 Aの証言「Bは●●した」

 Bの証言「Aは私が●●したと言ってるがそれは誤りである」

といったような箇所を発見することができます。

 

史料を批判的に読む意味、一つの事象について、複数の人物が残した史料や新聞雑誌記事等をくまなく探して、客観的事実を拾っていく地道な作業の重要性を、本の中だけすら見つけることができます。

こういう箇所をきっかけに、調べることの面白さや、史料批判の重要性に気づく人が一人でも増えて欲しいですね。

春から入学する大学生にぜひ進めたいですね。

まぁ知り合う目処はないんですが(笑)

 

著書のレビューなんて恐れ多くて出来ませんので、

備忘録的に、ブログに残しておきたい部分を紹介しますね。

 

歴史家の道へ踏み出した動機(pp,13)

 東京裁判で隠し通された部分を解明することで、

 昭和初年の歴史におよその筋道をつけたい

 

●1951年に東京大学に入学、丸山真男から一対一の個人教育を受ける(pp.35)

 日本政治外交史の岡義武ゼミに所属(緒方貞子も同ゼミ生)

 

●家永三郎との論争(pp.112〜)

 日本の進歩的文化人(著者の整理)

 ①戦争中、自由主義者として沈黙を強いられ大学を追放、戦後、大学に復帰

  → 矢内原忠雄、大内兵衛

 ②戦時中は時流に迎合、戦後、米国民主主義の礼賛者や平和主義者に変節

  → 清水幾太郎、家永三郎

 

●歴史の実利的効用(pp.170〜)

 ①教訓の摂取

 ②説得の技法

 ③エンターテイメント

 

 ”職業的詐話師”がガセネタを雑誌社に持ち込む実態を懸念。

 →著者略歴、参考文献、脚注の内容に留意すること

 

 ※脚注(p.174)

  同分野の先行研究は消化しており、

  そのうえで自信と責任を持って論争に応じる姿勢を示すもの 

 

●歴史の観察と解釈について(p.178)

 ①一般理論は存在せず、部分理論しかない

 ②真理は中間にあり

  E.Hカー「ユートピアニズム対レアニズムの螺旋的発展」

 ③職人意識を忘れない

  ”神は細部に宿たまう”

  →歴史家の本分は、マクロの観察よりもミクロの実証作業

 

 

***

以下asakunoのちょっと横道にそれた感想です。

 

歴史研究には、プロの研究者と、アマの「歴史家」がいます。

史学を専攻しない限り、この両者を厳密に分けて著作を分類することは、なかなか難しいのではないかと思います。

歴史小説を「歴史」として読んでしまう人も少なからずいると思います。

また、巷の本屋や図書館に溢れている”歴史本”は、ほとんどがアマの歴史家によるものです。

研究者の著作は、一般向けに書かれた本(新書や『大系 日本の歴史』などのシリーズ物など)をのぞいて、大型書店に行かないと手に入らないですし、流通量も少なく値段もはります。(いわゆる研究書ですね。)

 

私は研究者を諦めてから10年ほど経ちますが、いまだにアマの歴史家の書いた著作に手を出せません。

間口を広くとって、いろんな人に歴史の面白さを伝える、という意味においては、圧倒的にアマの歴史家の著作が優れていることと思います。

ですが、研究者が人生をかけて残した”研究書”の真髄に触れてしまうと、その魅力に圧倒されてしまうものです。

最初のハードルは高いですが、本当はもっと研究書をいろんな人に読んでもらいたいですね。

 

そんな思いが強くなる一冊でした。

 

まとまりなくてすみません。

今回はこのあたりで終わりにします。