3連休の帰省

会社のお盆休みというものが無いので、この3日連休を使って東京の実家に少しだけ帰省してきました。

lemon

帰省のついでに、丸善丸の内店4階にあるMaruzen cafeに行ってまいりました。
で、せっかくなので梶井基次郎の「檸檬」モチーフの、レモンムースのケーキを。
検索して出てくるレモンムースよりも、見た目が可愛くなってますね。
夏にぴったりの、ほのかな酸味の優しいケーキでした。

丸善は、普段の土日に比べると人は少なめでしたが、
まぁまぁの人出でしたね。

早く新型コロナが収束してくれると良いですね・・・

フランツ・カフカ『アメリカ』(中井正文訳、角川文庫)

アメリカ (角川文庫)

アメリカ (角川文庫)

 

カフカの『アメリカ』を読了しました。
作品の解説やら感想はとりあえず置いておいて、
とにかく、作品の終わり方がとても良かった。

それが、作者が意図した終わらせ方なのか、
単に未完であったのかは検討の余地があるとは思いますが。
(というかその辺は私が言及するまでもなく、
 分厚いカフカ研究によって詳にされいるのかもしれませんが)

章立てを紹介しておきます。
第1章 火夫
第2章 伯父
第3章 ニューヨーク近在の田舎屋敷
第4章 ラムシーズへの道
第5章 オクシデンタル・ホテル
第6章 ロビンソン事件
第7章 隠れ場所
第8章 オクラホマの野外劇場


主人公カール・ロスマンの作中での遍歴から、
新しい土地でどういう不条理が待ち受けているかは想像に難くない・・・
いや、新しい土地でようやく今までの苦労は報われるのか・・・

想像を大いに膨らませ、期待と不安を抱きつつページをめくると、
突然、物語は終わっているのです。

自分ではどうしようもない、外的要因によって目まぐるしく変転する主人公の境遇、
読み手からすると、
あるときは自分に重ねて共感し、またあるときには傍観者として同情し・・・

激しく感情を揺さぶられるというよりは、
世の中の不条理のなかで抵抗できずに生きて行かざるを得ない人間の、
一人の人間の無力さを、
痛感させられる一冊でした。


長塚節「土」

土

  • 作者:長塚 節
  • 発売日: 2012/10/02
  • メディア: Kindle版
 

先日の読売新聞(茨城版)の記事、<作品の中の茨城>(12)シリーズにて、長塚節の「土」が紹介されていました。恥ずかしながら、未読でしたので、また積読リストに追加。
青空文庫でも読めますね。

常総市国生というところが舞台となっているそうです。生家は県指定文化財になっているとか。藤沢周平が『白き瓶』というタイトルで長塚節の生涯を小説に著しているようです。(お恥ずかしながらこちらも未読。)

白き瓶  小説 長塚 節 (文春文庫)

白き瓶  小説 長塚 節 (文春文庫)

 

長塚節(1879-1915)
なんと、正岡子規門下で、アララギ派の代表歌人なのですね。小説「土」が有名なので、小説家とばかり思い込んでおりました。
「土」は、1910年に『東京朝日新聞』に連載された小説のようです。享年37。原因は結核…

ちなみに12歳年上の正岡子規(1867-1902)は結核を患い36歳で夭折。

正岡子規について興味を持ち始めたばかりなのに、読みたい本やら調べたい作家がどんどん増えていきますね・・・

がんばるぞ・・・

フランツ・カフカ『アメリカ』(中井正文訳、角川文庫)

カフカは「変身」しか読んだことがなかったんですが、
知人から勧められて『アメリカ』(「失踪者」という標題の方が有名?)を読んでいます。

アメリカ (角川文庫)

アメリカ (角川文庫)

 

1912〜1914年に執筆されたと言われています。
世界情勢的には、第一次世界大戦が始まる直前になりますね。
主人公は16歳のドイツ人の青年。
女性がらみの問題で、両親からアメリカに追い出さ、見知らぬ土地を放浪する物語です。

半分くらい読んだのですが、
世の不条理がずっと描かれているようで、
この先を読み進めるのも少し不安な心持ちがします。。。

読後の感想や、カフカについて調べたら、また改めて文学カテゴリで記事を上げますね。

海外コスメの個人輸入〜The Ordinary

The Ordinary という化粧品をご存知ですか?
カナダのDECIEMという会社の化粧品ブランドです。
デパコス並の成分が入っているのに、プチプラで購入できるため、
コスメホリックの人たちから注目されているようですね。

私は、偶然、友人から「HyaluronicAcid 2% B5」という、
ヒアルロン酸の保湿美容液を1本もらったのがきっかけで知りました。

The Ordinaryは、組み合わせて使ってはいけない美容液もあるんですが、
(成分同士がぶつかって、分解されて効果が得られなくなったりするようです。)
ヒアルロン酸美容液は、組み合わせを考えなくても良いので、初心者も安心。

日常のケアの最後に、薄く伸ばして使用したところ、
肌がもちもちしっとりになりました。

日本ではまだ未発売。

気に入ったのでリピートしようと思ったものの、
残念ながら日本ではまだ販売されていません。
Amazon や楽天で購入することはできますが、手数料相当を上乗せされいてるのか、だいぶお高い価格設定になっています。
…それだとプチプラの意味がないですよね。

海外通販サイトを利用して、個人輸入してみよう

聞けば、私にThe Ordinary をおすすめしてくれた友人も、
個人輸入したとのこと。

早速調べて、今回、はじめて使ってみたサイトがこちら。
cult BEAUTY
通貨はイギリスポンドですが、本家サイトのUSDとあまり価格は変わらず、レートによっては若干お安く購入できることもあるでしょう。
ただし、(これは購入した後に気づいたんですが)、
cult BEAUTYのラインナップだと、30mlしか選択できません。
(商品としては30ml 60mlの2種類ありますね。)

60mlで購入したい方は、他の通販サイトかDECIEM公式から直接購入してみるのも良いと思います。
(保存料などが入っていないので、30mlにして劣化しないうちに早く使い切る、
という考え雨もあるので、どちらにするかは好みの問題ですね。)

<cult BEAUTYの利用について>
◆日本の通販サイトとつくりはほぼ同じです。
 購入したい商品をバスケットに入れて、購入手続きに進むだけ。
 ※もちろんアカウントを作成する必要はあります。

◆送料について
 40GBPを超えるとフリーになります。
 有料オプションで、fedexのトレーサビリティーをつけることができます。
 ※オプションをつけなくても、cult BEAUTYのマイアカウントページで
  発送番号を表示できるので、fedexのページに飛べば、
  注文した荷物がどこにあるか、おおまかに位置を掴むことはできます。
 ※高額の注文の場合は、関税・輸入消費税・通関手数料などが
  かかってしまう場合もあるので、事前に調べておくとよいでしょう。

注文してから届くまで

7月18日に注文して、7月25日に届きました。
予定では、7月27日18時とされていたのでちょっと早め。
fedexの貨物の動きを見ると、
バジルトン→スタンステッド→シャルルドゴール→広東→成田 と運ばれたようです。
船便かと思ってんたですが、空輸でした。
通関後は、私の場合は、日本郵便にバトンタッチされて、メールで配達連絡がありました。

送料 freeにするためにまとめ買いしたヒアルロン酸6本とbuffet(←挑戦)

個人輸入って、本当に届くか心配だったり、海外通販サイトが(英語なので)ちょっと手こずったりしますが、
実際、挑戦してみると意外と簡単だったりします。
今回は空輸だったので、そんなに待つことなく手元に届いて幸せ。

ためしに購入してみた、buffetについて、
使用感などは改めてレポートしたいと思います。

★参考までにAmazonと楽天のページを貼っておきます★
 まとめ買いをする前にためしに購入する場合は、
 使い慣れた国内のサイトを使用しても良いですね。






国木田独歩「武蔵野」 ー沈められた恋愛の記憶

こんにちは。asakunoです。

今回は、教科書にも必ず載っている、国木田独歩の「武蔵野」を紹介したいと思います。

(ネタバレ?を多く含みますので、まっさらな状態で作品を味わいたい方は、この先は読まないでくださいね。)

 刊行されていて手に入りやすいのはこちら。 (青空文庫にも入っています。)

武蔵野 (新潮文庫)

武蔵野 (新潮文庫)

 

「武蔵野」という作品は、国木田独歩が渋谷村の茅屋に滞在していた1896(明治29)年9月〜1897(明治30)年4月頃の、国木田自身の日記を元に書かれた随筆です。

(フィクションがふくまれるので、小説の要素もありますが…)

「散策」や「落葉林の美」を発見した、等々を指摘されることが多いようですね。

明治30年代の、「武蔵野」の雑木林の繊細な自然描写がとても美しい作品です。

ですが、この作品、ただ「武蔵野」を散策した叙景だけではないのです。

これについては、没後に刊行された国木田の日記『欺かざるの記』と合わせて読むことで、作品の隠された背景を知ることができるようです。

『欺かざるの記』(『国木田独歩全集』7巻、1966年、学習研究社)※抄録が文庫本で刊行されています。『国木田独歩全集』自体が、所蔵図書館が少ないので読むのはなかなか困難そう…

結論から先に言いますと、

この「武蔵野」が書かれる背景として、独歩(当時26歳)の失恋の物語があるのです。

一見、恋愛の要素は全く見受けられない「武蔵野」。

しかし、そもそも独歩が渋谷に一軒家を借りて秋〜翌春まで滞在したのは、失恋の傷を癒す目的もあったのです。

独歩の「武蔵野」の散策は、失恋によって絶望の底にいる自分自身との対話をするための散策でもあったわけですね。

誰しも一度は経験したことのある、失恋。

ふだん目にする光景も、失恋の最中では見えかたは変わってくるものです。

独歩の描いた「武蔵野」が、失恋のショックの中で生み出されたと思うと、少し作品の印象が変わって来ませんか。

もしかすると、失恋の中にあったからこそ発見された「武蔵野」の光景かもしれません。

さて、失恋のお相手は佐々城信子。

信子一家は、北海道の開拓地に住んでいたそうです。独歩は信子との恋愛に後押しされて、北海道で信子とともに生活することを夢想し、実際に北海道へも赴きました。

(その北海道の大自然との対峙も、「武蔵野」の発見にも繋がったようです。余談ですが。)

そして、逗子にて2人で結婚生活をこころみたものの破綻、信子は母のいる北海道に帰っていったそうです。

その5ヶ月後、独歩は渋谷に茅屋を借り、武蔵野散策を始めることになります。

孫引きになっていまいますが、赤坂憲雄『武蔵野をよむ』(岩波新書1740、2018)に引用されている独歩の日記『欺かざるの記』を見てみましょう。

武蔵野の一隅に此の冬を送る。われ此の生活を悲まざる可し。昨年の今月今夜は逗子に彼の女と共に枕にひゞく波音をきゝて限りなき愛の夢に出入せしことあり。今はたゞ独り此の淋しき草堂に此のものさびしき夜を送る。あゝ吾は此の生活を悲まざるべし。

(十一月二十六日)

(赤坂同上、pp.40)

このような、悲哀に満ち満ちた日記が続いているようです。

相当なショックだったことがわかります。去年の同じ日付に何をしていたかまで細かく思い出して日記に書くなんて…その思いの強さに恐怖すら感じます。

しかし、こんな強い感情を内に秘めつつも、「武蔵野」の自然描写には微塵も失恋の影は偲ばせていません。

一方、「武蔵野」の後半には、次のような場面があります。

 今より三年前の夏のことであった。自分はある友と市中の寓居を出でて三崎町の停車場から境まで乗り、そこで下りて北へ真直に四五丁ゆくと桜橋という小さな橋がある、それを渡ると一軒の掛茶屋がある、この茶屋の婆さんが自分に向かって、「今時分、何にしに来ただア」と問うたことがあった。

(中略)

 茶屋を出て、自分らは、そろそろ小金井の堤を、水上のほうへとのぼり初めた。ああその日の散歩がどんなに楽しかったろう。(後略)

ここでは「ある友と」、と独歩は表現していますが、赤坂憲雄は『欺かざるの記』と照らし合わせることで、これが8月の信子との逢瀬との記録であることを立証しています。

そして、こういった「ズラシと隠蔽」の意図を、「郊外の散策の純粋さ」を損なわないためだと推測しています。

このように失恋の記憶は、ときには完全に捨象される一方で、あるときには執念深く形を変えて残されているのです。

文字通り読んでしまえば、秋から冬にかけて「武蔵野」が最も美しく映える季節、瞑想にふけりながら五感で自然を感じる朗らかな散策、友との懐かしい散策の思い出の記憶のように、見えてしまいます。

しかし、独歩の人生を並べて読んでみると、そこには激しい失恋の痛手から立ち直ろうとしつつ、未練をなかなか断ち切れない1人の青年が苦悩する姿も浮かび上がってきます。

独歩はこの失恋の後、約10年後に生涯を閉じることになります。

失恋の影響はわかりませんが、短くも悲劇的な独歩の人生を考えながら、「武蔵野」を味わってみるのも、面白いかもしれませんね。

***

閑話休題。

なんの前置きもなく「武蔵野」を連呼してきましたが、

そもそも、「武蔵野」とはどの地域を指すのでしょうか。

江戸幕府開府までは、中世の古戦場趾以外には名所旧跡もなく、人の住まない荒涼とした野原であった「武蔵野」。

西行や芭蕉にも、萩、ススキ、萱(カヤ)、オミナエシ等とともに詠まれてきました。

独歩は、「武蔵野」の中で、新たに武蔵野の範囲の定義を試みています。

(厳密には、本文中「朋友」の言葉として語らせています。)

東半分は

亀井戸辺より小松川へかけ木下川から堀切を包んで千住近傍へ到って止まる。この範囲は異論があれば取り除いてもよい。

と、断定にためらいがありますが、西半分についてははっきり領域を示しています。

そこで僕は武蔵野はまず雑司谷から起こって線を引いてみると、それから板橋の中仙道の西側を通って川越近傍まで達し、君の一編に示された入間郡を包んで円く甲武線の立川駅に来る。この範囲の間に所沢、田無などいう駅がどんなに趣味が多いか……ことに夏の緑の深いころは。さて立川からは多摩川を限界として上丸辺まで下る。八王子はけっして武蔵野には入れられない。そして丸子から下目黒に返る。この範囲の間に布田、登戸、二子などのどんなに趣味が多いか。以上は西反面。

これを地図にプロットしてみると、↓のようになります。

f:id:asakuno:20190207081125p:plain
「武蔵野」の西半分

西半分だけでも、現在の私たちが抱く「武蔵野」イメージよりもかなり広範囲を想定していることがわかります。

当時は明治30年代。独歩が居を構えた渋谷村(現・渋谷区NHK放送センター近辺)のあたりはまだ “郊外”だったそうです。

この「武蔵野」に含まれるエリアは、当時はまだ都市化の波に完全には飲み込まれていない場所だったということでしょうか。興味深いですね。

なお、本記事を書くにあたり、非常に参考にさせていただいた書籍はこちらです。

武蔵野をよむ (岩波新書)

武蔵野をよむ (岩波新書)

 

当時の自然環境や都市の状況、同時代の作家(田山花袋や柳田国男)の残した記録などから「武蔵野」を丁寧に検証するとともに、先行研究において「江戸の文学的伝統」からの「切断」を指摘していた柄谷行人に批判的な立場を取っています。

そして、近世からの連続性(「歌枕的な伝統」の承継)を立証しています。

秦郁彦『実証史学への道』(2018、中央公論新社)

こんばんは、asakunoです。

 

実証史学への道 - 一歴史家の回想 (単行本)

実証史学への道 – 一歴史家の回想 (単行本)

 

 

秦郁彦先生、大学で日本近代史を学ぶ学生ならば、各種事典で日々お世話になる軍事史の大家ですね。

私も、軍事史を研究していたわけではありませんが、官僚制や内閣人事を調べるのに頻繁に先生が編集した事典を活用しておりました。

 

さて本書、

・読売新聞の連載企画「時代の証言者」シリーズ(2017.3.14〜4.26 全31回)の加筆

・旧陸海軍指導者たちの証言(1953(昭和28)年に著者が巣鴨プリズンにおいて行ったヒアリングの速記ノート

この2点がメインとなっているような気がします。

分量的には、ヒアリングノートがほぼ半分を占めています。

 

前半部分は、著者がどのようなスタンスで歴史研究を行ってきたかの回顧になります。

時代状況は現代と全く異なるとはいえ、研究者がどのような動機で歴史研究を志向していったのか、そしてどのような社会的地位や資金源を得て研究を続けていったのか知ることが出来ます。

(圧倒的な東京大学の強さを思い知らされる感じもあります。。。)

 

後半部分は、陸海軍指導者の証言になります。

軍事史には全く明るくないのですが、とても面白く読めました。

この部分を読むだけでも、例えば、

 Aの証言「Bは●●した」

 Bの証言「Aは私が●●したと言ってるがそれは誤りである」

といったような箇所を発見することができます。

 

史料を批判的に読む意味、一つの事象について、複数の人物が残した史料や新聞雑誌記事等をくまなく探して、客観的事実を拾っていく地道な作業の重要性を、本の中だけすら見つけることができます。

こういう箇所をきっかけに、調べることの面白さや、史料批判の重要性に気づく人が一人でも増えて欲しいですね。

春から入学する大学生にぜひ進めたいですね。

まぁ知り合う目処はないんですが(笑)

 

著書のレビューなんて恐れ多くて出来ませんので、

備忘録的に、ブログに残しておきたい部分を紹介しますね。

 

歴史家の道へ踏み出した動機(pp,13)

 東京裁判で隠し通された部分を解明することで、

 昭和初年の歴史におよその筋道をつけたい

 

●1951年に東京大学に入学、丸山真男から一対一の個人教育を受ける(pp.35)

 日本政治外交史の岡義武ゼミに所属(緒方貞子も同ゼミ生)

 

●家永三郎との論争(pp.112〜)

 日本の進歩的文化人(著者の整理)

 ①戦争中、自由主義者として沈黙を強いられ大学を追放、戦後、大学に復帰

  → 矢内原忠雄、大内兵衛

 ②戦時中は時流に迎合、戦後、米国民主主義の礼賛者や平和主義者に変節

  → 清水幾太郎、家永三郎

 

●歴史の実利的効用(pp.170〜)

 ①教訓の摂取

 ②説得の技法

 ③エンターテイメント

 

 ”職業的詐話師”がガセネタを雑誌社に持ち込む実態を懸念。

 →著者略歴、参考文献、脚注の内容に留意すること

 

 ※脚注(p.174)

  同分野の先行研究は消化しており、

  そのうえで自信と責任を持って論争に応じる姿勢を示すもの 

 

●歴史の観察と解釈について(p.178)

 ①一般理論は存在せず、部分理論しかない

 ②真理は中間にあり

  E.Hカー「ユートピアニズム対レアニズムの螺旋的発展」

 ③職人意識を忘れない

  ”神は細部に宿たまう”

  →歴史家の本分は、マクロの観察よりもミクロの実証作業

 

 

***

以下asakunoのちょっと横道にそれた感想です。

 

歴史研究には、プロの研究者と、アマの「歴史家」がいます。

史学を専攻しない限り、この両者を厳密に分けて著作を分類することは、なかなか難しいのではないかと思います。

歴史小説を「歴史」として読んでしまう人も少なからずいると思います。

また、巷の本屋や図書館に溢れている”歴史本”は、ほとんどがアマの歴史家によるものです。

研究者の著作は、一般向けに書かれた本(新書や『大系 日本の歴史』などのシリーズ物など)をのぞいて、大型書店に行かないと手に入らないですし、流通量も少なく値段もはります。(いわゆる研究書ですね。)

 

私は研究者を諦めてから10年ほど経ちますが、いまだにアマの歴史家の書いた著作に手を出せません。

間口を広くとって、いろんな人に歴史の面白さを伝える、という意味においては、圧倒的にアマの歴史家の著作が優れていることと思います。

ですが、研究者が人生をかけて残した”研究書”の真髄に触れてしまうと、その魅力に圧倒されてしまうものです。

最初のハードルは高いですが、本当はもっと研究書をいろんな人に読んでもらいたいですね。

 

そんな思いが強くなる一冊でした。

 

まとまりなくてすみません。

今回はこのあたりで終わりにします。